自己紹介③保育の仕事を6年間

自己紹介

保育の仕事に就く

大学卒業後は、大学時代に取得した「保母」の資格を活かし

小学校の頃の夢を叶えて、公務員として保育所で働き始めました。

一年目は、先輩の先生との複数担任で、

障害を持ったお子さんに加配という立場で関わる感じでしたが、

二年目からはクラス担任を持たされ、

集団保育(15~20人を1人で担任する)の仕事となり、

注意力散漫になって人数を数えることもままならず

パニックに陥りました。

また、日常的に記録を残すことも苦手で、

児童票と呼ばれる公式記録を作成するのに

毎年の監査の時期にはノイローゼになりました。

女性だけの職場での人間関係も辛く、

次第に転職を考えるようになり

ボランティア活動で知り合った方の紹介で

障害児保育を専門とする民間の施設に

社会人4年目で転職しました。

 

心身障害児通園事業での3年間

転職した施設は、

就学前の障害児の親子通園施設でした。

隣に、健常児の保育園が併設されていて

職員も子どもたちも、日常的に交流出来ました。

多くても10人弱のお子さんとそれぞれのママさんと

スタッフ3人という環境だったので、

パニックになることはなくなり、落ち着いて働くことが出来ました。

同じ法人の大人の施設には、

大学時代の先輩や同級生が働いていて

プライベートも充実出来る環境でした。

施設には、知的障害のお子さんと身体障害のお子さんが通っていました。

身体障害のあるお子さんが病院のリハビリに通っていて、

何回か見学させてもらったことがあり、

そこで理学療法士という存在を改めて知りました。

そしてそこで見たリハビリは、

急に身体の姿勢を変えられて戸惑って泣いてしまう子どもの姿。

私なら、泣かずに楽しい雰囲気でリハビリ出来るのに」って、

純粋に、そう思いました。

また、知的障害があり、とても多動なお子さんと遊んでいた時に、

弾みで骨折させてしまうということがありました。

保母の勉強で、子どもの発達心理や生理学等は学んだけど、

脳や身体の仕組みは、研修会に行ったもののちんぷんかんぷん。

本格的に学ばないと、また怪我をさせてしまう…

そんな想いが強くなって来ました。

 

そして、気づいたら、

理学療法士の養成校入学を目覚して受験勉強を始め、

2年越しで、ようやく合格。

唯一入学を認められた縁もゆかりも無い

福井県の専門学校に入学することになりました。

28歳の春でした。

 

自己紹介②の記事は、こちら

自己紹介②学生時代の私
高校・大学で社会福祉に目覚める 高校受験を考える頃、 「ケースワーカーという資格を目指しながら、病気で亡くな...

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