自己紹介①子どもの頃の私

自己紹介

私の幼稚園・小学校の思い出のほとんどが、イジメ体験でした

 

アトピー性皮膚炎がひどかった私は、

その原因である動物性たんぱく質を除いた食べ物しか口にできず

食べられるたんぱく質は、豆製品のみ。

お友達の家に行っても、同じようなお菓子をいただくことができず

「陽子ちゃんは、なんだか変わっている子」とみられて、

仲間外れの対象でした。

 

小学校の学校給食も食べられずに、母の手作り弁当を持って登校。

いじめっ子にお弁当箱を狙われたり、

母の弁当が豆製品ばかりの茶色で

食べたくなくて、帰り道に溝に捨てたり…

栄養失調状態で、身長も低くガリガリの身体で、みじめな印象

さらに、一人っ子だったので、学校のざわざわした空気になじめず

クラスメートの誰かが先生にられるのを聞いただけで、めそめそ泣い

いわゆる、HSC(繊細すぎるこども)だったんだと思います。

 

そんな私が、明るく振舞えるような場所は、

その頃、母親が働いていた福祉施設にいる時間でした。

通学路の途中に、その施設があったので、下校の時に、よく立ち寄りました。

玄関に入ると、必ずミユキちゃんと呼ばれている知的障害の人が出迎えてくれて、

私の母親のいる事務室に知らせに行ってくれました。

ミユキちゃんは、お話をすることが出来ませんでしたが、

いつもニコニコして、私の頭を撫でてくれたりして、会うのが楽しみでした。

その施設で、お習字の練習会に交じらせてもらったり、

友達を誘って、リコーダーの演奏をさせてもらったりもしました。

 

また、一人っ子で兄弟が欲しかった私は、

近所の小さい子を集めて遊ぶのが好きで、結構年下の子に慕われていました。

小学校卒業文集の「将来の夢」は、「保母さん」でした。

 

それから、小学校のクラスメートで

右手に障害があったEちゃんや、知的障害があったYちゃん

彼女たちと一緒に過ごして、ちょっとお世話をする。

イジメられていたけど、

自分よりもちょっと能力が下の人たちと関わることで、

自分の優位性を保っていたのかもしれません。

 

今回は、ここまでにします。

次回は、高校時代からのお話をさせて頂きます。

お楽しみに❣

 

 

 

 

 

 

 

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